読書日記02

2019/8/23日記

小林美佳「性犯罪被害にあうということ」を読む。悲痛。理解しきれそうもない。せめてどうにかそのまま受け取れたら良いのに。

日本に生まれ育った日本国籍の黄色人種の男性の健常者の大卒のヘテロである僕は、多分この国においてはマジョリティあるいは強者で、差別の対象になったことも個を虐げられる経験をしたことも、ない。

被害者になったこともなければ、想像力もないから、差別を受けている人や被害にあった人たちの置かれている境遇や、彼らの抱えている気持ちや痛みが、本当のところよくわからない。論理的なアプローチで理解を試みることや、人並みの同情や悲しみを覚えることはあるけど、やっぱりどこまでも他人事で、リアリティがない。だってぼく自身は体験してないし、当事者になったことないんだから。

毎日をぼーっと生きているぼくは、実際に恐怖に晒されたり、恐怖と薄皮一枚のところで生きている人たちがいる、ということさえ忘れてしまっている。何もできなくても、どうすべきかも分からなくても、本当は「いない」ことにしてはいけない、というのが正しいのだろう。でも、ぼくにはそれさえできない。目の届く範囲に目に見える形で存在しないものは、すぐにぼくの世界からいなくなってしまう。

「足のない人に『ちゃんと両足で歩きなさい』って言う?」
「言うわけないでしょ」
「なんで?」
「だって、見ればわかるじゃん!」
「なんで目に見えないことは分かろうとしないの?」
「だって、見えないもん。嘘つけるでしょ!分かんない!」

小林美佳「性犯罪被害にあうということ」p.102

珍しく朝はやくに目が覚めて、さらに珍しいことになぜか目覚めもよくて、奇跡的に布団から出るのに努力を必要としない1日の始まり。牛乳をたっぷり入れたコーヒーとヨーグルトを食べて、雑然と積まれた本の山から一冊を取り出し、読み始める。しばらくすると眠気に襲われる。ゆらゆらとお布団に逆戻りしてまどろみに帰っていく。改めて目が覚めたらお腹が空いていて、でも家には食べ物がなかったので、お昼ご飯を食べに出かける。お店にはドウダンツツジが飾られている。春に白い花をつけて、夏に葉をつけて、秋になると紅葉します。その後、落葉します。今日はとても穏やかな日です。こんな光景はこれまでにも何度もあった気もするし、はじめての光景かもしれない。今日の日もじきに記憶から消え去り、なかったことになる。でも、人生の妙味は、こんな消えゆく時間にこそ含まれているのかもしれないな、と思った。

畑で育てていた枝豆を根っこから引っこ抜いたままプロポーズする時の花束みたいに抱えて、電車に乗って家まで持ち帰って、ブチブチと茎から実の部分をひきちぎって、軽く洗って塩もみしてすこし置いて、沸騰したお湯で数分ゆがく。新鮮な枝豆はおいしい、気がする。枝豆は鮮度が落ちやすい野菜で、農家さんはお湯を沸かしてから収穫に行くと言われている。そんなエピソードが甘みを足しているのかもしれないけれど。

「もし、きょう枝豆をたべなくて、こないだ、ふたりで枝豆たべたことが、じんせいでたった一回のことだったとする。そしたら、じんせいで一回しかなかったって、気づくかな。」
ぼくは、いったけど、あたまが、こんがらがって、まさに、らるらるら、ってかんじになってた。かけがえのない、一回しかないことが、じんせいにはむすうにあって、それに気づくのは、くりかえしたときだとしたら、それってどういうことなんだ?
「ねえ、もしかして」
きみは、とつぜん、ひらめいたように、いった。「しおが、ちがうくない?」
「え」
ぼくは、いった。「ああ、そうか。しおが、あたらしいんだ。ちょっといい岩塩を買ったんだった。」
「ほうらー。だから、あじがちがうんだ。」
きみは、とくいそうにわらった。
そのかおを見て、ぼくは、ふってわいたように、おもった。
たくさん、くりかえそう。
いちどきりのことを見つけるために。
たのしいことも、くるしいことも。人生がつづくかぎり、ほんとうのくりかえしなんてものはないんだから。

斉藤倫「ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集」p.60-62

2019/8/23日記

Posted by tjknt